落語家の着物 羽織はプロになってから

落語家のトレードマークといえば「着物」。これは、落語という芸能が始まった時からのお約束です。

今では色も柄も様々な噺家の着物ですが、昭和の頃までは噺家の着物といえば「黒の五所紋」と決まっていました。「着物が噺の邪魔をしてはいけない」とされ、手ぬぐいも地味な紺や臙脂が主流です。
「咄家は着物を見せるんじゃねえ。芸を客に聞かせるんだ。着物見せるなら柳原へ行けばよい」と言われ、なぜ柳原かというと、昔の柳原には古着屋さんが並んでいたというわけで。

今回は、そんな「噺家の着物」のお話です。

落語家の着物と円朝の緋の襦袢

噺家の着物は、一般の着物と同様です。春と秋冬は袷、初夏と初秋は単衣、盛夏は絽や紗です。
ただ、高座でしゃべっていると暑いので、夏以外はみんな単衣にしている方もいらっしゃいます。

着物の下は、肌襦袢にステテコ、長襦袢です。
ステテコの代わりにスパッツの場合もあって、うちの楽松は変な柄のスポーツ用スパッツとかタイツを愛用しています。
荒川落語会で高座に上がる時に、裾がはだけて中から派手な妙な柄のスパッツが見えてしまい、隣のおばあさんがギョッとしてました。
安心してください、彫ってません。

長襦袢といえば、三遊亭円朝師の「緋の襦袢頃」。これは、円朝がちりめんづくめの衣装で高座に上がっていた頃を指しています。
芝居噺で大人気を博していた頃の円朝は、大たぶさに結った髪、黒羽二重に緋色の襦袢をちらつかせていたそうで、随分と気障な芸人であったようです。

また、緋色の襦袢にしていたのは、あまりの人気のため茶に毒を盛られる危険性があったためだという都市伝説も残っています。毒が入ったお茶が緋色の襦袢に付くと色が変わるんだそうです。

現在では毒を盛られる心配もなくなりましたので緋色の襦袢を着ている方は見かけませんが、様々な柄の襦袢をお召しになっています。
殿方の長襦袢は虎や龍が描かれているものも多く、地味な着物の下には龍を隠していたりするのです。

噺家の着物は制服

「落語家さんは普段も着物なんですか?」と聞かれますけど、大概は洋服です。
癖のある私服が多いようで、うちのもどこの民族かしらという格好をして出歩いています。

たまに馬券売り場にいそうな格好をなさっている師匠もいらっしゃいます。一番まともな格好をなさっているのが前座さんのような気がしています。
いったい、芸歴何年になるとあのようなアクが出てくるんでしょうか。

ちなみに、五代目円楽師匠は楽屋入りする際はスーツでキメていたそうです。
その総領弟子である鳳楽お師匠さんも、私服はダブルのスーツでキメています。

高座に上がる時の着物の柄や色は自由です。最近は、噺家のキャラクターに合わせて派手な色や柄の着物をお召しになる噺家さんもいらっしゃいます。
うちのは噺の邪魔にならないようにとの言いつけを守って、黒と紺と臙脂と深緑という、割と地味な着物です。
笑点メンバーは、普段も笑点の着物を着ているわけではありません。着物の色は、日テレさんが決めたものです。

前座の鳳月さんは、白地に小花柄という可愛らしい着物を誂えました。「反物でみたときはいいなと思ったんですけど、仕立ててみたら、なんだこれってくらい派手でした」と呑気に仰ってましたけど、キャラに合っているので良きかなです。

着物は、兄弟子や師匠からゆずってもらうことも多いようです。最近の前座さんは背が高いので、譲ってもらってもサイズが合わなくて大変そうです。たまに丈が子供かってくらいにちんちくりんにしている前座さんがいます。

しかし、師匠から着物をいただくことはとてもうれしいこと。
みんな師匠の芸が大好きで入門したのですから、おさがりを身につけることは高座でのお守りみたいなものなのですね。

うちの楽松は、お師匠さんからいただいた袴を、どんなに股裂けしてもつくろって着けています。
先日、ついに縫い目が裂けたので被せ布をしてつくろいました。今度裂けたら当て布です。

余談ですが、着物は、ちょっとしたことでよく裂けるので、着物の仕立て方の本があると着物の仕組みがわかり、派手に裂けても自分で繕うことができます。

前に楽松が着物の脇と袖を裂いて帰ってきて、その夜に縫ったのですが、男着物なのに身八つ口を作ってしまいました。
何かおかしいと思って縫い直しましたけど、あやうく女着物で高座に上げるところでした。

噺家の羽織はプロの証

噺の本題に入る合図で脱ぐ羽織。この羽織は、二つ目になってからでないと着ることができません。
まだ修業中の前座さんには羽織がないのです。

三代目三遊亭金馬師匠は、「浮世断語」の中で、

前座時代にははやく紋付が着たいと思った。同朋町の円右師匠の御内儀さんが亡くなられて、その御葬式のときに腰脇の者が着る縦縞の木綿に、梅鉢の紋付の羽織を戴いて始めて高座へあがったときは、嬉しくて昼間もその紋付を着て歩いた。

出典:1959(昭和34)年2月「浮世断語」有信堂

と書いています。紋付羽織は、プロの噺家の象徴なのです。

羽織の紐は、脱ぐ動作があるため結ぶタイプのものを使います。羽織紐をプレゼントするのも良いかなあと思ったこともありましたが、その機会もないまま現在に至っています。

上方の噺家さんは、羽織に限らず着物も羽織の紐もなかなか華やかです。大きな総がついていたり、光り物があしらってあったりなど「目立ってなんぼ」の辻話であったころの歴史が垣間見えます。

ところで、昔から役者や芸人は羽織の裏地の絵柄でゲン担ぎをすることを知っていますか?

羽織の裏地は派手な柄ものを使うことが多いのですが、これは江戸時代の名残。「贅沢禁止」の御触れがでたときに、お上の目から逃れるために派手な色や柄は裏地に使い、少しでもおしゃれを楽しんだのです。

この羽織の裏に、向かい干支の刺繍や絵柄を入れました。
反対干支とは、自分の向かい側の干支のこと。この向かい干支を大切にするとその干支が守ってくれると信じられ、子供の肌着や着物にも母親が刺繍したと言います。

噺家が好きな絵柄は、「笊かぶり犬」。犬が籠や笠をかぶっている妙な絵柄は、漢字で表し組み立てると
「竹」 + 「犬」 = 「笑」となるからです。
羽織や長襦袢にこの柄をいれると、「笑」が付いてくるというわけです。

袴はお奉行様やお侍さんが出てくる演目で

「鹿政談」「三方一両損」「柳田格之進」などお侍さんの噺や、所作が大きく着物の前がはだけそうな噺をかける時は、袴をつけます。

袴をつけた時は、羽織なしで高座にあがっても良いとされます。
楽松は一度お座敷の時に帯を忘れてしまい、その時は下帯が袴の脇から見えないようにと、羽織をつけました。
しかし、いつもの癖で噺の本題に入った途端に羽織を脱いでしまい、みんなで「あ」ってなりました。

激しい動作が続くと、なんと袴は裂けます。腰部分と股部分の裂け率が高く、襞(ヒダ)が多く作りが複雑怪奇な袴を縫うのは一苦労です。動きが大きい噺家さんの、袴と女房は大変だろうなあと思って高座を見ています。

尻は不思議と裂けません。もともとふたつに裂けているからです。ここ笑うところですごめんなさい。


噺家の着物は、きちんとしたものを身につけるように師匠からしつけられます。
噺家風情が、というところではあるのですが、噺で「黒がやけて羊羹色になり、紋だけ黒くなっていて“羊羹羽二重黒紋付”」と言っておいて、自分の着物が色あせてほつれていたのでは、格好がつかないというところなのだそうです。

羽織を脱ぐタイミングも、噺によって違います。
多くは本題に入る時に脱ぐのですが、羽織を脱ぐこと自体が演出になる噺もあるのです。
そんな事情もわかってくると、落語もまた面白いところでございます。