デキるビジネスパーソンが落語を聴く理由3つ





「世の中の伝統芸能従事者とファンに喧嘩売っとんのか」と思ったのが、西野精治先生という偉い先生が書いた「スタンフォード式最高の睡眠」という本。ベストセラーなんだそうです。そこに、「落語はモノトナス(単調な状態)」であり「寝る時に聴くには最適」と書かれています。
心地よい睡眠導入に落語が良いというのはわかるのですが、「単調」と言い切っていることについて「あ”?」と言い返したくなるところです。しかも、そのあと「ついでにいうと、単調な映画は売れません」という捨て台詞まであります。

しかし、世の中にはいろんな考え方があるというものです。この先生は、著書の中でわざわざ「落語は売れない」というほどお好みにならず、「売れないものに価値はない」という価値観まで表明しています。そういった方にとっては、落語は睡眠導入剤でしかなく、一生落語を楽しむことを知らないだろうなと思って、手打ちとなりました(私の中で)。

というわけで、仕事ができるビジネスパーソンは、なぜ落語を聴くのかを検証します。経営者に落語好きが多いのには、理由があるのです。


戦略や思考を磨くための想像力を高める

『知性を磨く 「スーパージェネラリスト」の時代』の著者 田坂教授は、本書の中で「「思想」「ビジョン」「志」「戦略」「戦術」「技術」「人間力」という「7つのレベルの思考」を垂直統合した「スーパージェネラリスト」が求められる」と記しています。

この思考は、ただ考えているだけでは机上の空論です。より具体的にイメージする力がなければ、具現化することはできません。ビジョンも戦略も、頭に入っているデータをどんな形にするのかをイメージすることができなければ、口先だけで何一つ役に立たないわけです。

耳にした言葉や学んだ事柄からイメージする力、つまり想像力を、落語を聴くことで高めることができます。
例えば、「紙入れ」で旦那が女房の間男である貸本屋の新吉と噛み合わない話をする時、旦那と新吉の会話形式で演る場合と、旦那が新吉と話している様子を旦那の視点だけで演じる場合があります。後者の場合、旦那の相槌や言葉から新吉の表情や動揺を想像することで、可笑しみが出てきます。これが想像できない場合、「エロ話が好きなおっさんがひとりで喜んでいる」としか見えません。

また、年末の風物詩「芝浜」では、魚屋の勝が市場が開くまで芝の浜で煙草をくゆらします。久しぶりの仕事に出た喜びを思い出しながら海を見るわけですが、噺家の所作や台詞で、体が目覚める感覚や潮の香りを感じることができます。
ここで想像力がないと、「公共の場で煙草を吸うな」とか「黙って吸え」とか言い出すわけです。

さらに、想像力があれば、この静けさが後のストーリーへの伏線であることも感じ取れます。この感覚は、実際のビジネスの現場でも必要な想像力です。見込み客が引いたということはどういうことなのか、ライバル会社が広告の方向を変えたのはどういうことなのかを想像し、次の一手を考えることができます。

最近は、想像力が欠如してきているそうで、ついに動画に落語をアテレコするまでになりました。
そのうち、あれが本物になってしまわないか心配です。

江戸の商売哲学と現在も変わらないビジネスの課題に気づく

企業を継続させるためには確固たるビジョンが必要だと言います。そしてビジョンは、社会に貢献することで初めて達成するといわれています。この意味がわからないと、私欲に走った経営や商品展開となり、最終的に人々の指示を得られなくなります。
人々の支持がなくても稼げれば幸せな人もいるのですが、彼らはお金や名誉を実現するためにビジネスという手段を選んでいるのでしょう。戦争や犯罪、政治じゃなくて良かったということろです。

落語の中には、江戸時代の商売哲学が息づいています。コツコツと真面目に実績を積むことの大切さを説く「鼠穴」、部下を育てるマネジメント手法を描いた「百年目」、ブラック企業の社長が社員の反撃にあう「味噌蔵」など、これらの噺は現在のビジネス現場でも通用するテーマです。
また、「三井の大黒」では甚五郎を通して職人が持つべき腕と眼力が描かれ、「千両みかん」ではブランドのこだわりを実際にあった果物問屋の台詞で語られます。
「紺屋高尾」のラストでは女房となった高尾のアイディアでヒット商品が生まれ、「厩火事」では、家庭を持つキャリアウーマンの悩みは、今も昔も変わらないことがわかります。

これらの噺を江戸の出来事として聴くことで、現代の商売に必要な心構えや、現代の組織が抱える課題や問題点に改めて気づくことができます。落語を聴くことで得られる気づきは、ビジネス書やセミナーで得られるものではないでしょう。

データでは読み取れない人智を知る

突き詰めると、落語は人間の業がテーマです。人の欲や愚かさを笑いにしています。善が良くて悪が悪いということもありません。正義が必ず勝つかもしれないけれども、それが本当の幸せなのかもわかりません。
人生最悪の中にも幸せがあり、幸せの中にも隠さなくてはならない罪があります。
それが人間であり、際限のない幸せを求めるあまりに、人は愚かしいことを繰り返します。落語は、容赦なくその業を笑いにしています。

物事には理屈で説明できないことがあり、成功と失敗は紙一重です。全てがデータの結果だけで読み取れるものではありません。
マーケティング理論では完璧なはずの広告が、たった一人の一言で吹き飛ばされることがあります。必ず契約が取れるはず、絶対に昇進できるはずだったものが、一晩のうちに何かの感情で反古にされることがあります。
これは、データの読み違えでも計算の誤りでもありません。人間に感情があれば、当然起こり得ることなのです。

落語を聴いていると、何が人間にとって幸せなのか、本当の不幸とは何なのかというテーマがしばしば出てきます。
「普通」とは何なのか、本当の意味の差別とはどういうことなのかも考えさせられます。
世の中にはどうにもならないことがあり、それでも人は、人の善意で生きていることがわかるでしょう。

人の業や世の中の成り立ちがわかると、百年企業となるためのビジョンや、部下のやる気を引き出すマネジメントが見えてきます。
商売も人生も、「人」と向き合うことで、真の成功へと繋がっていけるのではないかと思うのです。


とか書いてきましたが、だからといって、何かを得ることを目的として落語を聴くことは、それこそ野暮の極みです。また、落語を聞かなければ3つの恩恵が得られないわけではありません。小説や漫画、オペラや芝居、映画や音楽だって素晴らしい学びがあります。

落語はオチのある噺。そのまんまで面白いものです。噺家の方も、何か教訓めいたことを伝えようとしてるわけではありません。
ただ、噺家なりの噺の解釈とテーマを持っています。そこを感じ取り、共感したり感心したりできれば、もっと落語を楽しめて、人生や仕事に活かすヒントを得られるのではないかな、と考えています。