近代文学の礎を築いた落語・講談速記とその有意性

明治期の落語を現在に残している唯一の資料が「口述速記」である。

口述速記とは、高座をそのまま文字起こししたものだ。ラジオもテレビもネットも無い時代、速記が落語を楽しむことができる、寄席や落語会以外のただひとつの手段だった。
レコードが出始め、大正15年には落語のラジオ放送が始まった。それでも、落語速記は昭和の名人である六代目圓生や彦六、志ん生の高座を記録し続けた。

最近では落語速記はすっかり廃れてしまったが、「読む落語」や「落語脚本」として、柳家小三治師匠や立川志の輔師匠の高座の様子を書き起こしたものが出版されている。

今日では「読んでもよくわからない」と言われがちな「読む落語」だが、昭和の40年代までは雑誌の付録に付いてきたりムックや別冊で出版されたりなどメジャーな存在だった。速記書籍は、寄席のお供としても人気だったらしい。

うちには、圓生落語の全集「圓生全集」(青蛙房)が4セットある。私が資料として1セット、楽松は「なくなったら困るので見つけた時に買っておいた」といって3セット。今でも、稽古の際には読み込んでいる。
速記をそのまま演じてはしくじってしまうが、大々師匠がどのような言葉を選んでいたのか、ニュアンスを掴むためには欠かせない。圓生の江戸弁が克明に再現されていることも重宝だ。

言文一致のきっかけとなった落語速記

明治から昭和の名人の高座が文字として残る落語速記の書籍は、資料価値として非常に大きい。国会図書館に残っていれば、たとえデータがふっとんでも再生手段が消え失せたとしても、読むことで再生可能だ。文字の記録があれば、より正確に文化を後世に残して継承していくことができる。高座の口述速記本は、落語の文化資産なのである。

実は、文学が現代の口語体になったのは、落語や講談の口述速記が影響している。詳しいことは後述するけれども、速記がなければ、現代の文学は未だいかつい漢文の「普通文」になっていたのかもしれないのだ。
もっとも、言文一致運動は始まっていたので、遅かれ早かれ現代の形になっていたとは思うが、落語速記が近代文学のきっかけということが、えらいじゃないか。

明治大正の落語を脳内再生

口述速記には、当時の言葉遣いや流行、文化が凝縮されている。大衆文化の親方みたいな落語に、大衆の福祉施設であった寄席。かけられているネタは、大衆の声の代弁であり、人のやさしさと業を容赦なく描く。どこか淫猥で下世話であやしい、そんな寄席の雰囲気と落語が生々しく文字として語られる。これをロマンと言わずして何であろう。

そんな明治大正戦前の落語口述速記本は、今や絶版の危機だ。古書店でも入手しにくくなっているという。精度の高い口述速記本を出版していた青蛙房も、もう店をたたんでしまった。手には入らなくなっては、明治大正昭和戦前の落語文化と高座は夢の世界に消えてしまうかも知れない。明治の楽屋を知っている名人たちは、とっくに鬼籍に入っているのだ。

速記本を復刊してほしい。せめて国会図書館で読めるようにしておいてほしい。贅沢をいうと、現代の仮名遣いにして復活させて、全国の書店と図書館で取り扱って欲しい。
そんな機運になることを願いつつ、明治大正、戦前期の口述速記の楽しさと読み方を綴っていきたい。紹介する速記本は、現在でも入手しやすく、国会図書館のデジタルデータで読めるものにしている。

圓朝が名人と言われた所以、圓朝のライバルであった燕治の長講、ポスト圓朝であった圓右、そして圓朝よりも名人だと言わしめた柳桜、圓喬。

幻の高座は脳内でよみがえる。さあ、文明開化の木戸が開く。

どんとこい、どんとこい。