落語国の怪談噺

寄席や独演会も、夏になると決まってかけられるのが怪談噺である。
 怪談は、江戸時代中期頃から流行し、後期にはエンターテイメントという罰当たりなものになっていた。明治に入ると御一新の世論が賑やかになり、現代風ではない、迷信に過ぎないなど教養人から嫌われていたようだが、一般庶民にとっては娯楽だった。怖い怖いと言いながら、進んで怖い話を所望するのだから、人間とは勝手なものだ。

 そんなわけで落語にも怪談の需要があり、年末に「文七元結」「芝浜」しかり、夏の風物詩と言えば「死神」「お菊の皿」「反魂香」などの怪談噺だ。
 寄席では同じカテゴリの噺をかけてはならない、所謂「ついてはならない」という不文律があるのだが、夏になるとこれがなかなか難しくなる。化け物が出てきて笑わせる落とし噺が浅いところに出てしまうと、トリに「死神」や「お札はがし」ができない。
 もっとも、出演する人数が多かったりすると、関係なくかけてしまう場合もあって、はっきりとした幽霊やお化けが出ない「なんとなく薄ぼんやりと不気味」という噺をかけることもある。

落語の怪談噺の特徴は仏教にあり

 落語の怪談は現代の怪談やホラー、古くからおこなわれてきた百物語のような遊びとはちょっと違う。
 その特徴は、落語の始まりの歴史に隠されている。

 落語の始まりは、浄土宗の和尚・安楽庵策伝による説教だと言われている。策伝による「醒酔笑」には古典落語の元ネタとなっている笑い話が収められ、咄家の祖である鹿野武座衛門や烏亭焉馬も「醒酔笑」を元にした滑稽噺を創作しているし、古典落語の元ネタになっているのも多い。

江戸時代には民衆の生活に深く根付いていた仏教は、説教者によって布教された。説教者は弁舌だけではなく卓越した「話芸」を持ち、芸能のような節回しで説教を行い歩いた。これが浄土真宗の「節談説教」へと変化していった。そして落語・講談・浪曲などのエンターテイメント性を持つ話芸へとつながっていくのである。
 噺家が扇子と手ぬぐいで話すのも説教者の形に酷似している。噺家の手ぬぐいの符丁は「マンダラ」だ(この関連と詳細については後述する)。

落語の怪談噺は、仏教の思想を多分に含んでいる。怪談噺の祖は、初代林屋正蔵(林家は四代目から)であるが、彼は天保年間に剃髪し僧侶となっている。二代目林屋正蔵も元は曹洞宗の僧侶であったといわれ、彼が創作した怪談「野ざらし」は、当初は回向したしゃれこうべが、女の霊となって成仏しに来るという怪談噺であったら、初代円遊が滑稽噺に改作してしまった。

初代と二代目の林屋正蔵は、江戸の民衆たちによって伝えられてきた怪異談の中に、人々が求める救いや懺悔、畏れを見出し、話芸である怪談噺に仕立てた。怪談噺は、噺家による「高座説教」だったのではないだろうか。

この噺の仕立て方は、幕末明治の初代三遊亭圓朝により、因果因縁の物語である「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」として伝えられていく。圓朝が創作し、黙阿弥が続きを書いたミステリー「鰍沢」は、身延山参詣の道筋とお題目で救われるという、説教の流れをみることができる。

教えを説いてくるご隠居と幽霊

節談説教は、節がついたり修羅場の弁じ方など講談に近い。落語の基本は会話文だ。したがって、落語の怪談噺も基本的に会話文で進み、サゲがある。長講の人情噺の場合は地の文を話すこともあるのだが、会話は必ず出てくる。

 落語国のこの世のものではない者たちは、この特徴と定義に従い、積極的にこの世の人間たちに絡みに来る。
 落語に登場する亡者や人外たちは、この世に生きる人間たちと関わり合い、会話をする。そうじゃなければ話が進まないからだ。落語ではモノローグでも独り言として台詞を話さなければならない。

「たまには女でしくじってこいってんだ。お前に俺の若い頃を見せてやりたかったぜ。女が寄ってきて歩けたもんじゃねえ、女払い棒を持ってたってくらいだ」という台詞は、驚くことに独り言である。幽霊も黙っていては話にならない。どうしたって幽霊は、なぜ今ここに自分が居るのかと言葉で説明をしなくてはならないのだ。積極的に絡んでくる。

だから意図せず騒動に巻き込まれたり、嫉妬したり、ドジを踏む。落語国の妖怪や幽霊はどこか人間くさくなる。落語国の幽霊や化け物たちは、この世に住む我々の鏡のようだ。

熊五郎や八五郎が化け物騒動に巻き込まれたとき、教えを説くのが大家や隠居だ。しかし、怪談噺のときには幽霊や妖怪が説いてくることもある。「化け物使い」や「質屋庫」はその類だろう。

容赦ない落語の怖さ

 これが、薄ぼんやりとした不思議で怪異を描いた噺となると、登場するのは「生きている人」だけになる。化け物が出てこない人の営みの、紙一枚隔てた向こうの世界が顔を出す。
 妙な願い事をしてくる美人のお嬢さんや、突然現れる吹雪の中の一軒家に昔の女、隣に住む眼だけ光らせてガリガリに痩せこけた老人は、みなこの世に住む人だ。
 その彼らが呼ぶ、ほの暗い障子穴の向こうへ、一瞬の気の迷いで足を踏み入れる。そこには幽霊も妖怪もいない。ただ、人だ。人との会話が、そこはかとない怖さへと誘う。

 だからこそ、落語の怪談噺は滑稽噺でも人情噺でも、いろんな意味で怖い。
 もしかしたら明日、自分の周りの世界が変わっているかもしれない、自分が今、化け物になっているかもしれない。
 今生において救いがない。そんな怖さだ。
 怪談噺にも、落語だからくすぐりが入る。くすぐりにひとしきり笑った後で、噺に含まれていた怪異に「ちょっと待てよ」と背中がざわりと冷たくなるのだ。

この世の讃歌と開き直り

 落語の怪談噺のもうひとつの特徴は、生きることへの讃歌であり、業の肯定がある。
 圓朝噺では、登場人物が幽霊なり人なりに殺されながら話が進んでいくが、親の因果が子に報いたとしても、子は生きる決断をし回向する。
 「死神」は救いのない噺として有名だが、主人公が捨てた妻と子供は、主人公が生きようが死のうが関係ないところでたくましく生きている。
 滑稽噺に出てくる幽霊たちも、金に情に未練が残り、死んでまでも果たそうと騒動を巻き起こす。そこには、死んで成仏したものはいない。彼らは、足がなくたって未だこの世の人だ。

 落語の怪談噺は、どうせ生きるのならば人生を全うしようと教えてくれる。欲に業に苦しんでこそ人間であり、人生であると告げている。
 勧善懲悪のルールなど、落語にはありはしない。かっこいい正義の味方は落語の主人公にはなれない。かっこ悪くて欲に走って、たまにしくじって痛い目にあって、嫉妬して情にもろくて滑稽だ。

 そんな人間だもの。半ばで死んだって高徳な仏になんてそうそうなれるものではない。だったら人に迷惑をかけようが笑われようが生きて生まれてきた意味を全うしてやれ。生きることが修行となる。これが落語国の人々であり主人公なのだ。

 江戸時代や明治の人々にとって、死はまだまだ身近であっただろう。異界は扉を開けた向こう側に存在していた。
 人々は、生きるエネルギーで異界に対抗した。
 それがバカバカしい笑いであり、人が持つ愚かさへの開き直りだ。笑いながら畏れながら、救いと気づきを怪談の中に見出していたのだろう。

  天国へ 行きますという 不幸者
  石屋さえ もらい泣きする よい辞世