美術品に宿る念は鬼となるか「質屋庫」

付喪神はモノにつく物の怪らしいのだけど、モノが妖怪に変化するといったこともあるらしい。骨董の類には魑魅魍魎が宿るらしく、さて、それは物の怪か、人の欲か。

蔵の掛け軸にとりつく幽霊「質屋庫」

質屋庫

とある質屋。主人が、「長屋でうちの三番庫に化け物がでるという噂があるらしい」と、番頭に確認するように言いつける。しかし、番頭は塩からと化け物の類が大嫌いなのでどうしても行きたがらない。ならば、と町で強くて力持ち自慢の熊五郎が呼ばれ、熊五郎と番頭が無理矢理三番庫を見届けることになってしまう。

こんなこと、酒を飲まねばやってられないと、飲んだくれながら待っている丑三つ時。ついに何やら道具たちが動き始めた。

「帯と羽織が相撲を取っているぞ」
「着物が行司に化けてやがる」
「道具ってのはいろんなものに化けるものだ」
「なるほど、俺の帯も先日酒に化けた」

などと言っていたら、奥の箱がゴトゴト。
蓋が開き、中から掛け軸がスルスルと上に伸びていく。掛軸から菅原道真公が、スーっ。

番頭「あれは藤原さんちの、菅原道真の姿が書かれてる掛け軸だ」
道真「番頭、藤原に利上げするように伝えよ。また流されそうじゃ」

タイトル詐欺で申し訳ないが、落語の方は至って罪のない滑稽話である。
サゲで登場する道真公の「流される」は、藤原時平の讒言によって大宰府へ左遷されてしまうことと質流れをかけたもの。菅原道真の偉業を伝える噺や説教が、面白おかしく改作されていったのだろう。

元ネタは、「天神」(近目貫・安永二)、「手習いかがみ(往古噺の魁二篇・天保15)など多くの類似の噺がある。
万延2年の上方の桂松光のネタ帳「風流昔ばなし」の中に同じ噺があり、古くから上方でかけられていた。
骨董を扱う店の噺は、上方発祥が多いようだ。はてなの茶碗(茶金)、井戸の茶碗もそうだし、「金明竹」では、上方の加賀や佐吉の仲買の弥一さんがやってきたことで騒動となる。美術品や芸術品は京都に集まるといったところであろう。

江戸にはいつ伝わったのかは不明だが、六代目圓生が昭和24年頃に、桂文團治から移してもらったと語っている。
文團治は番頭が「あ、また流されると思ってる」と、道真公にツッコんでいるが、圓生は道真公に説明をさせるように直したそうだ。

道具が妖怪化することを、付喪神という。質屋の主人が「質に取った品物の気」として何だかおっかない言葉を使っているが、熊と番頭がみたものは、力士の持ち物であった帯と羽織が相撲をとっているという、可笑しみにある風景だ。こういうところが落語らしくて良い。

滝沢馬金も「滑稽質屋庫」という本を書いている。質屋にまつわる町人たちのすったもんだを描いており、貧乏人の悲哀を笑いにしている。江戸っ子たちのたくましさだ。

馬琴はもうひとつ「昔語質屋庫」という質屋の噺を書いている。いわくつきの道具たちが持ち主や歴史上の人物の姿となり身の上話を始める内容で、どちらかといえば怪談だ。

応挙の幽霊

掛け軸の中から幽霊が出てくるという落語には、もうひとつ「応挙の幽霊」がある。これも元は上方噺だ。

骨董屋のある主人。長いこと店に寝かせていた応挙が描いた幽霊の掛け軸に、やっと買い手がついた。お祝いにイッパイやっていると、絵の中の幽霊が抜け出てきた。これがなかなか良い女。幽霊のお酌で二人で飲みだす。

「三途の川でも 棹(さお)さしゃ届く なぜに届かぬわが思い」

三味線で都都逸なんかを唄い良い気持ちになって、気づくと朝。
掛け軸をみると、幽霊が絵の中で寝ている。そこへ品物を取りに来た旦那がやってきた。

「なに?渡せない?店に置いてたってしょうがないだろう」
「もう少し寝かせておきとうございます」

人が描かれている絵画には、気が憑きやすいのだろうか、もしくは魂が入り込むという怖れがあるのだろうか、人形にもこの手の噺は多い。

小さい頃、「ふたつの目を持つものには命が宿るから捨ててはいけない」と婆さんに言われ、小樽のどこかの人形塚にぬいぐるみや人形を納めにいったことがあった。

幼いながらに恐ろしく、一目散に帰ってきた。今ネットで調べてみても、人形塚が出てこない。夢だったのか。

質屋の庫

さて、前述の「質屋庫」は昭和24年頃に圓生師が移したということだが、ここに昭和28年に出版された「落語選集」に「質屋の庫」という速記がある。

昭和28年発刊と言えども、大正・昭和初期あたりの速記も入っているようで、しかも演者が記されていないので一体いつどこで誰がやったものだかわからない。

この「質屋の庫」の熊五郎は妖怪退治に駆り出されず、ただ質屋の主人(既に隠居している)に質にとった道具類たちの不思議な話を聞く内容となっており、サゲも違う。

 熊五郎が、幽霊が出るという乾物屋に見物に行ってみたが、幽霊が出て来やしないので、本当に幽霊というものはいるのかどうか、質屋・伊勢屋の隠居に尋ねに来る。
隠居は、道具類には魂や気が入るので、化け物になる可能性はあるし、実際にうちの蔵にもあったと話を聞かせる。

 甚五郎が彫った狸が夜中に浮かれていたこと、三味線が勝手に陽気な音をかき鳴らしている下で猫が踊っていたこと、正宗の刀が暴れ出して着物が斬られ、その着物がキーっと悲鳴を上げていたこと。

 他にはありませんか、と聞く熊五郎に、隠居は不思議な振袖の話を聞かせる。
秋の雨が降る夜中に泣き声がしたと思って蔵をのぞいてみたら、17,18の振袖のお嬢さんが泣いている。声をかけると消えてしまった。

 次の日の朝に蔵に入ってみると、一家離散で洗いざらい質に入れていった道具のうちの婚礼衣装があった。昨日のお嬢さんは、花嫁衣裳に未練があって泣いていたらしい。
この念の残った着物を寺に納めた。

隠居「これが昔なら江戸中焼き払うというようなことになるんだが、今はそんなことはなくって済んだのはまず以て目出度いではないか」
熊「嘘みたようですね」
隠居「嘘じゃない、本郷のことだ」
熊「洒落ちゃァいかない、しかし、質に置いた品物がそう化けるものですかね」
隠居「ああ、化けるとも。ずいぶん学生さんの本が牛肉に化けたり、長屋の内儀さんの半纏がお米に化けたりするね」
熊「ああ、そういえば私の袷もこの間酒に化けた」

噺の中に「わしがまだ子供だった維新の頃に」や、本が牛肉に化けてしまうところをみると、大正から昭和一桁あたりの速記かもしれない。いずれにしても、六代目圓生以前の高座で、小噺を繋げた地噺だ。

着物に残る恋の情

隠居が語る、お嬢さんの婚礼衣装を寺に納めた話は、振袖火事の怪異のことをである。隠居が「本当」を「本郷」と洒落ているのは、火元が本郷の本妙寺であった説からきている。

振袖火事の怪異

本妙寺の墓参りの帰りに、美しい小姓に一目ぼれした梅乃は恋煩いで寝込んでしまう。
せめてもと、小姓が着ていた着物と同じ荒磯と菊柄の振袖を作ってもらったが、その振袖を抱いたまま死んでしまった。不憫に思った親は、梅乃の棺に形見の振袖をかけてやった。

寺男がその振袖を転売したが、手に渡った娘たちが皆死んでしまう。
めぐりめぐって本妙寺に戻ってきたので、因縁を感じた寺では振袖を焼いて供養することにした。

護摩の火が裾を焼いたその瞬間、一陣の風が舞い上がり振袖は人の形をしたまま炎と化し、寺の軒先に火を移した。
屋根を覆った火は湯島の町に燃え広がり、やがて江戸中を焼き尽くす大火となった。

 このことから、明暦の大火は振袖火事とも呼ばれている。世界史でもまれにみる大きな被害を出しており、明暦の大火をきっかけに両国橋と永代橋が架橋され、江戸城は天守閣を失った。両国橋の両端には広小路が作られ、両国には被害者を弔う回向院が建立された。巣鴨の本妙寺にも、明暦の大火供養塔がある。

着物に憑いた霊の話は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にみることができる。こちらは、身請けが叶わなかった遊女の霊が現れている。袖から女の手だけが何かを求めるように伸びており、これは身請けの金を求めている手だという。苦界に沈む遊女の悲哀だ。

これら妖怪画の元ネタは安永期の『諸州奇事談』と言われているが、明和期の『怪談御伽猿』では「衣桁の小袖より手を出だし招く事」とあり、妖怪味が増している。

嘉永期の『狂歌百物語』の「小袖手(こそでのて)」は形見の小袖が一緒に供養されずに売却されたことに成仏できない娘が憑いたとされ、振袖火事の怪異に近い。
「小袖の手」が、時代の悲哀を描いたものから怪談として消費される妖怪と変化していることが分かる。

生きる力は怨念より強し

落語の方はと言うと、掛け軸が質流れを心配したり、学生の本分である書物が牛肉になったり、背に腹は代えられないようだ。
貧乏人にとって、骨董道具など持てるものではないので執着の対象になりえない。それよりも今日の食い扶持が何よりも重要なのだ。骨董の化け物なんて、それこそ異界の話だったのだろう。

小噺をひとつ。

博打に負けて裸で帰ってきた旦那、女房の着ていた袷を表と裏を別にして、女房には表、自分は裏を着る。
「この寒いのに単衣でどう命が続きましょう。もし凍えて死んだら、この引きときを着て恨んで出てやる」
「なんだってそんなもんを着て出てくるんだ」
「あーら、うらほしやァ」

(女房の怨)


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