八百屋お七の怪異と転生

前回、骨董に気が憑く話から明暦の大火の怪異について書いたので、今回は江戸の大火に散った少女・お七の話を掘り下げようと思う。

ふたつのお七譚

八百屋お七と言えば、浄瑠璃を始め歌舞伎にも映画にもなっている有名な少女だ。創作において「情念に散った少女の悲劇」の象徴であり、そのドラマ性に多くのストーリーが生み出された。浄瑠璃『伊達娘恋緋鹿子』で火の粉が舞う中、火の見櫓に昇った振袖のお七が半鐘を鳴らす姿は、哀しく美しい狂気に満ちており、一番の見せ場だ。

そんな八百屋お七も、落語にかかるとどうにも憎めない話となってしまう。
東大落語会編纂の落語事典によると、お七が登場する古典落語は「お七」と「お七の十」の2篇。

お七

子どもが生まれた吉兵衛が、嫌味ばかりいう熊公に「子どもの名前はお初だって? 徳兵衛という男と心中するんだろう」と言われて言い返せずにくやしがっている。

そこに女房が、「熊さんのところの子どもはお七っていうんだから、吉三と良い仲になって火をつけて、鈴ヶ森で火あぶりになると言っておやり」知恵をつけてくれた。

さっそく吉兵衛は熊公のところに行って八百屋お七の話をするが、根が良い人間なのでうまくいかない。いつまでも話が進まないものだから、熊公が先回りして

「ははあ、放火して火あぶりになるってんだろ。火をつけたからどうなるってんだ」
「うん、だから火の用心に気をつけねェ」


六代目圓生の「圓生全集」にある他、古いところでは「百花園」に初代三遊亭圓遊の速記がある。
圓遊の速記では、サゲで熊公が「火あぶりになるってんだろう」、吉「早いやつだなあ、もうおっかあに聞きやがった」。

他、圓生の他には五代目の三升家小勝がかけていたそうで、古くからある噺なのだろう。
圓生は、柳家小せん師に教わったという。

原話は寛延4年「軽口浮瓢箪」の「名の仕返し」。
「あわびのし」に近い噺であり、落語の中の女性は強くてとてもよろしい。

さて、もうひとつの「お七の十」は本題の怪談噺だ。

お七の十

恋変じて無情となり、無情変じた恋はない。色恋のためならば道ならぬことをする者はいくらもある。

天和元年の大火の折、本郷の小町と呼ばれるほどの美少女・お七は焼け出され、避難をするもお手付きになってはいけないと、駒込の吉祥寺へ預けられることになった。

寺方なら間違いはないだろうという親心であったが、これが大間違い。寺には業平かと思われるほどの美青年の小姓・吉三と出会い、想い想われで人目を忍ぶ仲となる。

そうこうしているうちに、本郷の新宅が完成し、お七は家に戻ることになった。
衝立の向こうの吉三に

「あたしゃ、本郷に行くわいなァ…」

涙ながらに親に連れられお七は寺を後にした。

それからというもの、吉三の姿が目に浮かび、逢えないとわかっていても忘れられない。想いは募り、もう一度火事になれば、あの寺の吉三さんに逢えるかもしれない。

こうして火を付けてしまったお七は、放火の罪は重いと鈴ヶ森で火あぶりとなった。

吉三の方はこの事件を知って大層悲しみ、お七が火で死んだのだったら、自分は水で死のう。
吾妻橋から飛び込み、土座衛門となって十万億土、

「暗いところに来てしまった。おや、誰かこちらに向かってくる。えー、少々伺います。極楽ってのはどっちに行ったらよろしいのでしょう。お七という娘を探してるんですが」
「あら、まあ、わたしがお七ですよ。そういうあなたはどなた」
「わたしは小姓の吉三です」

火あぶりにされて黒くなったお七と、土座衛門でふくれた吉三が、懐かし可愛やと抱き合ったら、火と水が合ったからジューッ。しかもお七の七と吉三の三を足して十…。

吉三と逢えたお七だが、成仏はできないものとみえて、夜な夜な鈴ヶ森に亡魂が出るという。
そこへ、二尺八寸を帯挟んだ武士が通りかかった。南無妙法蓮華経の題目石の傍らから現れ出でたるお七の幽霊…

「何だ其の方は。なに、お七。幽霊に恨みを受ける因縁はない」
「あってもなくても構わない。16歳で火あぶりになって恨めしいからとり殺すぞ」

いきなり威張りだしたお七に、武士の方も黙ってはいない。サッと横に払った刀でお七の片足の腿から下を切り落とした。

「これは敵わぬ、敵わぬ」
「お七、其方は一本の足で何処に参る」
「片足や、本郷へ行くわいなァ…」


昭和28年出版の落語速記本「落語選集」から。サゲはお七の台詞である「あたしゃ、本郷に行くわいなァ」の地口オチ。こちらも、小噺を集めて一席にまとめた地噺だ。

至って罪のない噺である。五代目の圓生や四代目柳亭痴楽が演じていたという。以降、かけられてはいないようで、東大落語会編纂の落語事典にも掲載されていない。

鶏になったお七

それにしても、お七は吉三と黄泉の国で再会できたというのに、なぜ生きている人が恨めしいと幽霊となってしまったのだろうか。まだ16歳という少女の身空、恋を全うしたとしても、生への未練は断ち切れなかったのか。

そのヒントは、江戸時代文化期の文人・狂歌師の大田南畝が随筆にしたためている。

お七墓(おしちのはか)

八百屋お七の墓は、小石川円乗寺にある。
古い石碑には「妙栄禅定尼」と彫られ、その傍らには立像の阿弥陀を彫刻した新しい碑がある

ある人が円乗寺の住職に由来を聞いた。

京極佐渡守高矩の足軽が、同家の菩提寺である駒込の天沢山竜光寺の墓掃除に通う夢をみた。
小石川馬場の辺りを通ると、頭は少女で首から下は鶏という奇妙なものが出て来て、足軽の裾をくわえて引っ張った。

「何の用か」
「恥ずかしながら、わたしは以前火刑に処せられた八百屋お七という者です。いまだこの通り成仏できずにおりますので、どうか跡を弔ってください」

足軽は、同じ夢を3晩続けてみた。妙なことと思い円乗寺へ行くと、

「いかにもお七の墓はあるが、火災の節に折れてしまった。無縁の墓ゆえ再興する者もなく、そのままになっている」

そこで足軽は新たな墓碑を建て、阿弥陀の立像を彫刻させ、お七の法名を入れて、古い墓石の傍らに添えた。さらに、法事を頼んでいったという。

お七がなぜその足軽に法事を頼んだのかはわからない。
足軽も、それ以来円乗寺に来ることはなかった。

大田南畝『一話一言』巻三

人間の業は三毒から

少女の顔を持った鶏が、お七を名乗り法事を頼む。お七はなぜ鶏の姿になってしまったのだろうか。

その謎は、仏教の「三毒」にある。三毒とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指す。

貪は、貪欲(とんよく)ともいう。むさぼり(必要以上に)求める心。
瞋は、瞋恚(しんに)ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくしみ」と表現する。
癡は、愚癡(ぐち)。真理に対する無知の心。「おろかさ」と表現する。

三毒はそれぞれ、鶏・蛇・豚の動物に象徴される。
お七の体は鶏であり、成仏できないために鶏と化していると足軽に伝えている。
鶏の意味するところは、「むさぼり求める心」だ。

お七は、吉三と生きて情を重ねたいと願っていたのだろう。心中してあの世で共にではなかった。生きて恋を謳歌したかった。一番綺麗で輝かしい一瞬の時の自分を、吉三に捧げたかった。

江戸怪談によくある、嫉妬や怨念は、この噺には出てこない。あるのは愚かで稚拙な欲望だ。どこか物悲しくて美しい。全てを燃やし尽くすとわかっていても求めてしまうのが、人の業というものだろう。

あなたのそばにも八百屋お七

お七の話は、時が経つほどに陰惨で悲劇的になっていくが、実際の火刑は生きたままではなく、絶命させてから行われたらしい。
「天和笑委集」によれば、市中引き回しの際も鮮やかな化粧と島田に結い上げた豪華な振袖姿だったという。

吉三のその後はいろいろな説があるが、「恋草からげし八百屋物語」の井原西鶴は、吉三は出家して僧となりお七を生涯弔ったとしている。

お七の運命を変えた火事は、1683年1月25日。
騒動から300年は超えていることだし、そろそろお七も人の姿で転生して、どこかで幸せに暮らしていてよい。